2010/07/03

読まなくていい


朝起きたら虫になっていた。というのはユダヤの著名な作家の書いた話だが、実際にはそのようなことはまずありえない。強いて言うのであれば比喩としての「朝起きたら牛(または豚)になっていた」ということぐらいはあろうか、いやしかし、牛(または豚)が比喩的な意味であっても突然朝起きたら体型が変わっていたなどということは現実的ではない。体型は突然変わらない、徐々に変わっていくのだ。増える場合も減る場合も。さらに言えば、もしも朝起きたら牛(または豚)になっていたとしたら、30代女子としてこんな恐ろしい話はない。

そんなことはどうでもいい。私は朝起きたら虫にも牛(または豚)にもなってはいなかった。







ある朝、私がなにか気掛かりな夢から眼をさますと、

自分が寝床の中で今日一日が暇になっているのを発見した。







ユダヤの著名な作家の話、その冒頭の一文を拝借し、現在の私の状況を説明するとこのようなことになる。実に私の状況を的確に表現出来ている。それに現実的である。人は突然虫にも牛(または豚)にもなることはない。だがしかし、ある日突然「暇」になることは大いにありえる。そして、「発見した」という単語が今の私にピッタリである。私が寝ている間に今日約束していた友人から約束キャンセルのメールが届いていた。それは感覚的にはまさに発見という言葉が相応しい。寝ている間は私は現実世界、外界から完全に遮断されている。目が覚めて現実世界に帰ってきたらその友人のメールがあるのである。前日夜に夢の世界へ旅立つ時はそのメールはなかった。なかったものがあった。これは発見である。仮に目が覚めている時にメールが届いているとしよう。その場合には発見という単語は使用されない。単に「届いた」のである。

と、意味がありそで全くない文章をつらつら書き連ねてうだうだむにゃむにゃ出来るほど暇なのである。そんなうだうだむにゃむにゃするほど暇ならどこかに出かけたりするが良かろう。と、思ったりもするが、それはそれで面倒なのである。

だから私は今日はうだうだむにゃむにゃする日と決めた。するとどうだろう。私は一気に「暇」から「うだうだむにゃむにゃ」に変身したではないか。

日々なんとなしに暮らしている私だが、1日、いや数時間でいかようにも変身が出来る。しかしながら、虫または牛(または豚)に変身するのだけは避けたい。避けたい。避けたい。これだけは声を大にして避けたいと叫ぼう。




こんな文章、読まなくていいんだぞ。

意味などない。